絵は、評価されることがすべてなのでしょうか?
産業的にはそうかもしれませんけど。
自分はそうは思っていないから、描いていられる面もあります。
絵は、自己表現でありながら、記録とか、
会話などの役割を持っていると思うんです。
今の、その時の人の心や時代の空気を、描き残しておく。
過去や未来に思いをはせて、描いてみる。
やめるのもまたひとつの選択。
それって、写真みたいなものでもあるかなあ。
写真って、そんなに映えなくても好きな物が写っていたら嬉しいです。
価値のある物をちゃんと撮れなくて、残念だねえという考えも、
もちろんあるかもしれませんが。
私は、絵の上手さにかなり固執していました。
伝えたいことがちゃんと伝わるように、ちゃんと描かなければと。
前よりも人間とか描けるようになったし、違和感の気づき方も訓練したし、
それから、何人かの方に絵を好きと言ってもらえるようになりました。
前よりも、自分の絵が好きになりました。
まだまだ出来ないことはたくさんありますが、
出来るようになったことに目を向けたい。
でも、上手いかどうかって、そんなに大事だったかな。
ちゃんと描くことに固執するあまり、肝心の「伝えたいこと」が、
すっぽり抜け落ちる日々がやってきました。
私が素敵な絵だなと思うのは、たくさん評価されてる絵でも、
まったく違和感のない完璧な絵でもありません。
いえ、完璧すぎる絵というのも、その人が表れているから、
それはそれで、素敵です。
少なくとも、みんなが言うから、自分もーというのは、ないと言いたい。
数値は正直かもしれませんが。
その人の好きが詰まっていたり、心の中を覗いている感覚になったり、
その人のたどってきたルーツを感じたり、面白かったり、
感情が揺さぶれたり。
そして上手なすごい絵がわかりやすく好きなのは、
その人が絵にかけてきた情熱を感じるからです。
自分は、そんな絵が描けているのか、自問しました。
……。
うーん、えらそうなことを言いました。
最近は、いろんなものに価値を見出せるようになってきた、
という感じです。描き続けることがすべて、とも言いません。
スマホに、「飽きたら休む、めげたらやめる」と、メモっています。