ニコタに書いた記事のセルフ転載です。
ここでの記事と重複ありです。
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ある時、私は自分がここにいる意味を、
見失っていました。
そんな時、日曜美術館というテレビ番組で
河井寛次郎という陶芸家が出てきました。
その方が残した言葉に
以下のようなものがありました。
「私は私を、形でしゃべる。
土でしゃべる、木でしゃべる。
木や石や鉄などでもしゃべる。
形はじっとしている歌。
飛んでいながらじっとしている鳥。
私はどんなものの中にもいる。
立ち止まってその声を聞く。
こんなものの中にもいたのか。
あんなものの中にもいたのか。
この世は自分を探しに来たところ。
この世は自分を見に来たところ」
表現というものは、
身体や言語だけでするものではない、
というような意味だと思う。
最後の、この世は自分を見に来たところ、
という言葉で、「そうか。そうだったのか」。
と思ったのです。
今日だから。
それからもうひとつ。
これは糸井重里さんの言葉。
「最高の道場は、競争ではなく
「憧れ合い」なんじゃないかな。」
「人の不幸をつくる人は
おそらく不幸なのだろうとは思います。」
最後の一言は、戦争のお話の後に、
言っていました。