立ち止まってその声を聞く
2022-08-15 (Mon)

ニコタに書いた記事のセルフ転載です。
ここでの記事と重複ありです。

—–

ある時、私は自分がここにいる意味を、
見失っていました。

そんな時、日曜美術館というテレビ番組で
河井寛次郎という陶芸家が出てきました。

その方が残した言葉に
以下のようなものがありました。

「私は私を、形でしゃべる。

土でしゃべる、木でしゃべる。

木や石や鉄などでもしゃべる。

形はじっとしている歌。

飛んでいながらじっとしている鳥。

私はどんなものの中にもいる。

立ち止まってその声を聞く。

こんなものの中にもいたのか。

あんなものの中にもいたのか。


この世は自分を探しに来たところ。

この世は自分を見に来たところ」

表現というものは、
身体や言語だけでするものではない、
というような意味だと思う。

最後の、この世は自分を見に来たところ、
という言葉で、「そうか。そうだったのか」。
と思ったのです。

今日だから。

それからもうひとつ。

これは糸井重里さんの言葉。

「最高の道場は、競争ではなく
「憧れ合い」なんじゃないかな。」

「人の不幸をつくる人は
おそらく不幸なのだろうとは思います。」

最後の一言は、戦争のお話の後に、
言っていました。

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