もぐら叩き
2023-12-23 (Sat)

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症状は3日前だけど、さらにその1日前あたりで、
いったん「なんか不機嫌なおれ」を感じていた。
他人にその不機嫌をぶつけたりはしなかったが、
なにかといちいち「おもしろくないなぁ」なのだった。
こういうときは、症状なくとも風邪の可能性が高いのだ。

(12月22日 今日のダーリンより)


人間に無理なことがあるのはわかっているうえで、
信じたい「だれかさん」があるとしたら、
ぜんぶを救ってくださいという無理が言いたい。

(上に同じ)


こういうのメタ認知って言うんでしょうかね。
私も最近、「おもしろくないなぁ」でした。

毎日更新で明日には見られなくなる言葉ですが、
コピーとる習慣でよかったな、と思います。
落ち込んでいた心に、なんだか妙にしみるんですよね。


それから、起きてソファで横になっているとき、
「そういえば、いろんな人に会ったけれど…」と。
そういえば、「おれに会ったことがない。」と思った。
観念的にはさんざん会ってるよ。
自問自答もよくしているし、写真も鏡も見ている。
しかし、道の向こうから山下さんが歩いてくる、ように、
じぶんが歩いてくることは、これまで一度もなかった。

(12月23日 今日のダーリン)


長く生きている人生の先輩でも、
「おれに会ったことがない。」のか。
自分でもびっくりするほど、
自分が他人だったりするのは、
いくつになっても変わらないのかもしれない。

友人に創作を見せて、
めちゃくちゃ悪いところを指摘されて戸惑って、
私は友人のために描いているのか?
その指摘は全部正しくて、次は指摘されないように、
怯えながら描かなきゃいけないのか?
それはなんかおかしくないか?
と自問自答。

直しても、直しても、手を変え品を変え、
延々と言われ続けるような気しかしなくて、
友人を満足させたところで、
私は好きなものが描けなくなっていくんじゃないかと、
そうはなりたくないんだ、
と思ってる自分がいると思っていました。

自分ってどこにいるんだろう。

こういう記事を見つけました。

楽しい創作活動が「復讐」になる瞬間 ゼブグラ雑記

「復讐」って辛いですよね。

創作で「復讐」はしたくないんですよ。

友人は、悪いところを指摘するのが正義、
そして私にはその正義を振りかざしていいと、
思っている感じがするんですよね。

完ぺきじゃないものは、
なんでも叩いていいというか。

完ぺきじゃないものは何でも叩いていい、
という人にとって、人生はもぐら叩きだと思うんです。
もぐら叩きに夢中になっている人は生涯、
人生の他の側面に気づくことなく死んでいきます。

もぐら叩きに夢中になっている間は、
自分の至らなさについて考えなくてよくて、
もぐら叩きをやめたら、
その間ないがしろにしていた自分と、
向き合わなければいけない。
だから、もぐら叩きはやめられない。
それは勇気がいることだから。

完ぺきじゃないものというのは、
モノづくりを始めた瞬間から無限にわいてくる。
もぐら叩きに自我を奪われた人は、
そういうところに嬉々として飛び込んでいく。
「私は良いことをしている。もぐらは害で、
私はそれを除去している。これは正義だ」、
という幻想を抱いてまで、そんなことを続けるのだ。

もぐらハンターに怯えながら創作をしている人が、
世の中にどれだけいることだろう。
もぐらが出ない作品作りに必死になっている人は、
とても多いのではないだろうか。

自分の至らなさを直視できないような、
取るに足らない人間のハンマーに、
怯えて筆を折る必要はないと思った。

私はもぐら叩きで一生終えるのはごめんだな。
ヘンな言い方ですが、ずっともぐらを叩いている人を、
すくう方法があったらいいんですけどね。

今週もお疲れさまでした。

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