認識のずれ
2024-01-07 (Sun)

動画みたり読書に耽ったりして、
だいぶこころが静かになってきて、
冷静に改めて考えてみたとき、
あることに気づきました。

友人はおもちとプリンなのですが、
抹茶はもちとプリンに囲まれてる粉なんだな
と思っといてください。

一時は本気で恨みましたけどね。
もちもちぷりゅぷりゅしやがって。

ブログには書いていないような、
これまでの文脈をたどってみたのです。

思い至ったのはバグッてるのはおもちか?
ということです。

思い当たる例が過去にもあり、
今回の事例から順に振り返ってみました。

先月、二人に漫画を描いてるけど読みたいですか、
と恐る恐る聞いたら読みたいとのことだったので、
じゃあ今度のWeb会のときに見せるから!
と約束してそのときは全員ワクワクな感じでした。

で、見せる前に、
私はこういう前置きをしました。
「頑張ったねって言われるのは嬉しいんだけど、
それは作者への労いであって、感想ではないよね」
という感じのことです。

「抹茶は真面目な粉だからな」

という反応でした。
正直めんどくせーと思ったと思います。
それは私の想像です。

そこで、どうやらおもちは変に緊張してしまったようです。

そして読んでもらったあと、
くだんの批判の嵐だったわけです。

おおまかにいうとわかりにくい、
とコマワリって大事だと思うんだよね。

というようなこと。
まあ、それは労いとは違うし、
作品のことを見て言っているのだから、
何も言われないよりはマシか……。
と思って、うん、うん、と聞いていました。

私は感想が欲しい、と言ったので、
当然相手も感想を返してくれているのだと、
混同して考えてしまっていたのです。

そして翌日言われたことをまとめているとき、
これも感想じゃないな、と気づいたのです。

ただのダメ出しです。
ダメ出しとしては正解だったと思います。

感想というのは、「ここにあったこの台詞、
この人物が本当に言いそうでこの人らしいね」
「この人は相手に翻弄されてたけど最終的には、
二人とも想いあってることがわかって心が温まった」
「この展開は予想外だったしこの人物の行動にモヤモヤした」
とか、そういうことを述べることだと思うんですよね。
すくなくとも私が期待していたのはそれです。

たとえばプロの人に「これでプロになれますか?
感想を聞かせてください」、と尋ねるときなら、
「ダメなところを指摘してください」、
という文脈を含んでいるとは思うのですが、
そういう状況ではありません。

だから、あれ感想じゃなかったね。
ってLINEで言ったのです。

すると、「抹茶が思う感想って何?」
「抹茶が言われたいことを言えばよかったのか?」
「間違ったことは言ってないしわがままいうな」
「言われたことを直せばよくなるんじゃないの」
「頑張ってね応援してる」

とひたすら自分に非はない主張。
完全に自己防衛モードで聞いてくれない。
ふたりともです。はいそうですかと。
もうライフ0だからこれ以上責めないでくれ、
という感じで納めました。
蕁麻疹がでました。
蕁麻疹が出るほどつらかったことは、
相手には伝えませんでした。

相手も暇じゃないと思うし、
よっぽど余裕がなかったんだろうな、
と思ったので。

しかし、最初に批判の口火を切ったのは、
おもちだったな、ということが、
ずっと頭の隅にありました。

プリンは、昔小説を読んでもらったこともあり、
私もプリンの小説を読んだこともあり、
お互い感想が言えていたのです。

おもちが、
「なんか登場人物多いなーと思った……」
と言って、そこから数珠つなぎに、
あれがどうのここがどうのと言い出して、
プリンが引っ張られるようにそれに乗っかった。

だから、感想が言えてないのは、
おもちか?と思ったわけです。
プリンも混同したままのようです。

感想という言葉を、これは想像でしかないですが、
「ひっかかったこと」か何かに置き換えて、
エスカレートしていったという感じ。
それはそれでありかもしれませんが、
それだけか? という……。

おもちって、さらっと言いますけど、
言葉の「一般的な使われ方、定義を理解しないで、
想像で補って使っている」節があるんです。

本質的には、もしかしたら、
もしかしたらおもちのほうが正しいのかもしれない。
でも、大多数の人はそうは思わないよね、
という解釈をしたまま生きていて、
コミュニケーションしているというか。

人にはわからない独特な文脈を持っているというか。

ここから過去の事例です。
LINEでASDとADHDの話をしていたときに、
おもちの社会性と想像力の解釈がめちゃくちゃで、
文字通りめちゃくちゃじゃねーか、
と思ったんですが、その時は指摘しませんでした。

ASDとADHDの特性を比較してみながら、
ASDは「だいたい」がわからないらしい、
つまり、「お肉二人分買ってきて、
と言われて二人分がわからないということか」、
と私が言うと、おもちは、

「実際にその量を見て、
これはおかしいとか思わずに
そのまま買ってきた事が問題なわけだから、
社会性(実際に一人分がどれくらいか)と
想像力(1キロは流石に多い)
の問題かなぁ?と思う」

と言ったのです。
LINEなのでテキストでのやりとりで原文ママです。

私の認識では社会性というのは、
一人分などの計量が出来るかではなく、
集団や組織の活動に参加できるか、
参加する意欲があるかでした。

想像力は、必要な量との差に気づくことでなく、
自分がどういう発言をすると、
相手からどういう反応が返ってくるか、どう思うか、
などを予測したり考える力があることが、
人間関係における定義だとして生きてきました。

だから、おもちが何を言っているのか、
しばらく理解に苦しんだのです。

社会に溶け込むには、たしかに、
数学的な思考というのはある程度必要ですし、
社会性が乏しい根本的一因として、
目視で計量ができないと困るというのはわかります。

でも、社会性という言葉として、
計量できない≒社会性がないとはならないような。

その量をもっていって、「それは多いよ!」
と反応されると想像ができるかもしれませんが、
比較判断できない≒想像力がないとはならないような。
やはり汎論的な想像力の意味とは違う気がします。

それで生きてきたなら別に指摘しませんけど、
私とおもちの思考はこんなにズレてるんだな。
ということに気づいた瞬間であり、
先日の、「感想」にまつわるすれ違いで、
私がすごくおもしろくなかったということです。

私は紳士じゃないけど、
紳士なら相手自身に打ち明けるほうが、
いいのでしょうか。

反発されると変なバトルになってしまうし、
そんな元気なかったりする。

私が間違っているとは思えないのと同じくらい、
おもちもそうだと思うんですよね。

ただそれで社会人やってて支障ないのかなあ……。
とお節介なことを考えてしまいます。
フィールドが違うのでわかりませんけど。

普段から仕事の愚痴とか聞いてると、
あんまり自分の非を認めたがらないところがある、
という違和感も感じられます。主観です。

愚痴が出るほど余裕がない時に、
自分の非を受け入れられるかと考えると、
それは難しいだろうなと思うので聞き流しています。

もし支障が出ているなら、
普段から自信喪失する機会が多いはずです。
それが「私は悪くない、向こうが悪い」、
という攻撃性に変わっている可能性もあります。

こういうの、どうしたらいいんだろう。

蕁麻疹すごく辛かったから、
自衛したいと思っているんですけど。
でも、根が深い問題だと思うので、
あまり干渉したくはありません。
もしかして困ってるのかな。

もう、どこで何がすり合わせ出来てないか、
まったく予測できないんですよね。
長い付き合いがあってようやく明るみにでてきました。

ずっと調べていたら、
『共感幻想』という言葉が出てきました。

漫画の清書がしたいので頭切り替えようと思います。

今週もどうかご無事で。

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